長生きすることは果たして幸せなのか

自分で意思表示できなくなったらどうする?

周りでこういう話が出たので思ったことを書いておきます。
この手の話題はひとりひとりの価値観が出て面白いです。興味深いのは、介護に関わっている人たちは口を揃えて、

長生きイコール幸せではない

というのです。それは、幸せではない現場をたくさん見てきたからなのでしょう。ピンピンコロリが理想だというのはほとんどの人が同意するところだと思いますが、寝たきりになってしまったひとや、何らかの事情で長期的に介護を受けているひとも、決してそうなりたくてそうなったわけではないはずです。若いころは普通の人以上に活動的だったひともいるでしょう。どんなに健康管理していたとしても、そうなってしまう可能性は常にあります。希望通り、ピンピンコロリなら結構ですが、そうじゃなかった場合どうすべきでしょうか。自分の置かれた状況を把握できて自分で意思表示できればいいですが、そうじゃないケースもあり得ます。人の生き死にと関連するので、法律的なところも絡むでしょうが、まずは、自分の意思を予め他の人に分かるように明確にしておくことが重要かなと思います。

自分がこうなったときには、こうしてほしいという意思表示を

臓器移植についてはカードがあったりしますが、それの発展形で、想定される病状のそれぞれについて、こうなったらこう処置してほしいという意思表示を明確にしておくのが良いと思います。どういうステップを踏めば本人の意思と認定出来るかなど、法整備も進んでほしいなと思います。死に際、どのようなかたちで亡くなるのかは人として重要、という意見があります。その通りだと思います。だからこそ、出来る限り自分の死に方を選びたいと思うのです。

ちょっとリスクがあるのは、気が変わる可能性があるということです。たとえば、5年前に意思表示した内容と、いま思っていることが違ってきている、というようなケースです。そのための対策としては、年1回の定期的な健康診断の際にでも、自分の意思を再確認して変更がある場合は適宜変更を入れるというような機会をつくることでしょう。20歳を過ぎたら自分の意思を(他の人に分かる手段で)明確にしておき、毎年確認するくらいがよいと思います。

個人的には、脳死とか植物状態になってまで生きたいとは思わないですし、自分が自分でなくなったらその時点で終了でOKだと思っています。介護についても、自分で自分のことができなくなったら介助してもらうというのは必要と思いますが、介護施設でよくやってるような「グーパー体操」みたいなのとか、正直つまらないと思うのでやりたくないんですよね(笑)。なんというか、こんなふうな介護をしてほしい、という意思表示もしておきたいなと。

本人もツライし周りもツライから

介護の現場では、介護する側とされる側のいろんな人間模様が見れるそうです。いい話も悪い話も聞きますが、いずれにしても介護する側にとってそれは大きな負荷です。自宅介護ならすごい負担です。本人が悪いわけではありませんが寝たきり30年とかなったらどうしますか?自宅で介護されているご家族は本当にすごいなと思います。が、私の意見は、

「自宅で介護すべきではない」

です。施設に入れたら薄情な家族だと思われる、みたいな世間の目がなくなることを切に望みます。
脱線しましたが、とにかく、周りに大きな負担をかけることなく、また、自分のプライドや価値観に沿ったかたちで、この世を去りたいと思うわけです。

ちなみに、上記は、不本意なかたちで長生きしてしまったお年寄り、みたいなイメージで書いてますが、お年寄りに限った問題でもなく突然の事故などで自分で意思表示できなくなる場合もあるでしょうから、意思の明確化は若いうちからしておいたほうが良いと思いました。

タイトルとURLをコピーしました