「ふっかける」ということもグローバルな交渉か

Negotiation for Leaders: Final Exercise for Cadets
Creative Commons License photo credit: West Point Public Affairs

引越しを手伝ったときのこと。

大きな荷物は運送屋さんに頼んだ。業者の提示金額が当日より前に出される。

これを承諾し、依頼する。

 

当日、事前に聞いていたのより大きなトラックがくる。

荷物を積み込んでもらう。

完了し、引越し先まできてもらう。

いざ、荷物を下ろしてもらおうとしたとき

「この荷物の量だと、事前連絡の25000円ではなく35000円になります。でも今回は30000円にしておきます」

とのこと。

カチンとくると同時に、「いつもそういう戦略なのかなあ」とある意味納得した。

私は引越しの当事者ではなかったが、

「このタイミングでそれをいうのはおかしい。支払うのは25000円のみ。文句があるならおたくの社長から直接させてください」

と回答。至ってシンプル。先方からそれ以上のことはなかった。

でもね。きっと優しい気の弱いひとは、

35000円を30000円にしてくれたんだから、といって払うひとも多いのだろう。ご老人の単身などなおさらだね。

だが、それが会社からの指示なのかどうかすらも曖昧なのだ。単に作業員のポケットにいれるためだけの、「ふっかけ」かもしれない。

荷物を下ろしてから言わなかったのは、荷物がある意味「人質」だったのかもしれない。

こっちは徹底的にやりますよ!という姿勢を見せたため、むこうは引き下がったかのように見えた。

弱気に対応していたら、それでは荷物をおろすことはできません、などと言われたのだろうか?

 

また、料金を支払った際の領収書はいま出せない、郵送で、と言われたが、裏紙に手書きでいいからと一筆もらった。

かつ、現金を手渡しているところを、iphone でビデオに撮りながら行った。念には念を。

 

良質なサービスには、リピート・口コミなどで最大限貢献したい。

悪質なサービスには、過度に感情的にならず、淡々と外堀を埋めながら対抗する。

 

でも、そういう「ふっかけ」は、世界的にみれば普通なのかもしれない。

日本はあまりにもモラルがありすぎて、こういうのに免疫がないし、とくかく波風たてずに収めたい、という心理が働いてしまうのだろうな。

でも主張すべきときは主張しよう。それもグローバル化の一端だ。

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