社会人1年生のとき

そろそろ4月。社会人1年生の新入社員は着慣れないスーツとネクタイで、満員電車に揉まれ始めるのか。

遠い昔、自分が新入社員だったころどんな気持ちだったろうかと思いだしたので、それに関連して書く。思ったことを書いただけで特に Opinion はない。

初出社の日、横浜市の寮(ワンルームマンション)から都内の会社へ満員電車に乗って向かう。初日からガツンとパンチを食らったような印象だった。「これは無理」「なんでみんな平気な顔してるの?」

初日から、こんな生活何十年も続けられないなと思った。結果的にその通りだったんだけれども。

そもそも、自分の場合、レールに乗っているようでなんだか道を踏み外しているような人生だ。これからだってどうなるか分かったもんじゃない。

新卒として入社する最初の会社をどのように決めたか?普通、大学院生は学校推薦みたいなかたちで過去実績のある就職先(いわゆる大手企業)に行くわけだ。が、私は何を思ったか、研究室で見慣れていたネットワーク機器の会社を受けた。受けたのはその一社だけ。幸運にも受かった。落ちてたらどうしてたかな?

入社した。同期は25人。大学院卒は自分だけ。つまり自分が一番年上だった。同期連中は今でも仲が良いな。そういう意味では、ある程度の規模の会社に入るそれなりの数の動機がいるってのは悪くないと思った。これがもっと大企業で同期が何千人とかなると、全員知りあいになることは無理だしちょっと感覚違うんだろうな。

配属部署は、自分を含め4人の小部隊。しかも、配属初日はオフィスに1人しかいなかった(自分含め2人)。あとの2人(部長含む)はアメリカのオフィスに出張中だった。なんという放置プレイ。でもこの配属によって自分のその後の方向性や価値観が固まったといえる。とても感謝している。

今思えば、何でも聞ける(それが許される)というのは素晴らしい時期だと思うし、もっと勉強しておけばよかったとも思う。

その後もさらに転職したり、別の大学院に入ったり、会社作ってみたり、いろいろやっているが、人間関係で苦労した記憶がない。自分で認識できていないだけなのかもしれないが、これは本当に幸運なことだと思う。辞めた理由は、飽きたとか、通勤嫌いとか、無駄な会議が嫌いとか、他のひとに言わせればそんなの我慢できる範囲のことだ、という要素が多かったかも。

就職活動なんかしてると、色々見ているようで実は逆に視野が狭まってしまうと思う。内定をとることが全て、とれなきゃ負けになってしまう。今は就職がとても難しいと言われているけれども、価値観も多様化してきているし、いろんな手はあると思うので、就職先が見つからないからといって絶望することは全くないと思う。でも、本人にとってはうまくいかないと人生終了のように思ってしまう感覚も分からんでもないが。

確実に言えることは、そんな絶望感も、10年、20年経ったら笑い飛ばせる程度のことだ、ということ。

幸い就職できたひとは、それが自分の第一希望ではなかったとしても、しばらくはやってみてもいいと思う。しばらく、ってどのくらいかは個人差あるけど、1日とか1ヶ月とかだとさすがにちょっともったいない気がする。もちろん、ブラック企業すぎるとそうなるかもしれないけど。配属とかで不本意なことがあっても、意外と他人のほうが自分の適性を見抜いている、ということもある。最初に入る会社や部署って結構重要だけど、それで人生決まってしまうかどうかは自分次第だ。その気になればあとでどうにでもなる。「なんだこの仕事!」と思ってやっていたことが、10年後にとても役立つこともある。どこで、点と点がつながるかは誰にも分からない。

それと、偉いひとの話を聞く機会もあると思うけど、20世紀型、昭和の古きよき会社で偉くなったひとの話を聞いたってもうあまり意味ないんじゃないかと思う。仮に上司がそういうタイプで、その人が理解できないことをあなたがやっていたとしたら怒られるかもしれない。でも、そんなタイプのひとが理解できるようなことをやってちゃダメなんだよね。

ま、なんだかんだ言っても、今はいい時代だと思うし、これからゼロから始められるひとたちがちょっと羨ましくも思える。

Éole /Free Photos
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