仕事に慣れると見えなくなる

先日、年に一度の健康診断に出向いた。その時に思ったこと。

その病院では、健康診断を受信する人は通常の外来とは別の部屋に集められ、料金の徴収のあと、その日の受診手順を説明される。

このような検査項目があり、この順序でそれぞれの受診科に行ってください、と説明される。
そして、建物の見取り図で各受診科はこのような配置になっています。今いる場所からの行き方は。。。。。っと道順を説明される。

その説明がやたらと早く、かつ、その説明してる人は説明しながら他のことをしているのだ。口と頭が別々に動いているようだ。よく言えば「よどみなく説明」なのだが、機械的というか一方的なのだ。よどみなく説明されると、その説明を受け取った側は、言葉の文節をうまく区切って受け取れなくなり、日本語なのに何を言ってるか分からなくなることがある(私だけ?)

過去何度か健康診断のみではあるが、足を運んだことのある病院なので、全体のフローや、それぞれの検査がどこで行われるのか等はなんとなく記憶があった。
だから、過去の記憶も頼りにしつつ行動すればなんとかなるかと思い聞き直すこともしなかったのだが、初めての人は面食らうだろう。自分がここに初めて来たときはそんな印象を受けなかったので、そのとき説明してくれたひとは丁寧だったのだろう。

私も経験あるのだが、何度も同じ説明をしていると、もう頭で考えなくとも口から勝手にフレーズが出てくるようになる。頭で考えながら言葉を作る、という作業をスキップできているのである意味ラクになった気がする。ただその一方で、そのような説明を聞く側は、何か機械的に説明されている「違和感」を感じるものだ。人間の感覚ってすごいよね。

今回の場合、説明する側は年中その施設にいて、施設の配置や手順などもう分かりきったことなので、説明も機械的になってしまいがちだけど、説明される側は初めての場合が多いので、もっともっと配慮が必要だ。
あ、もしかしたら、私はもう何回目かの受診ってことが分かっているので、適当に説明されちゃったのかなあ?

いずれにしても、頭を使わないでしゃべる、という感覚には思い当たるフシがあったので、これからは受け取る側のことを考えながら、言葉を発しようと思った次第。

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