「遺憾の意」を使うのはイカンということにしませんか?

謝罪会見や、何らか都合悪いことが発生した場合に責任者から出る言葉、

「遺憾の意」「遺憾に思う」「不徳の致すところ」「慚愧の念に堪えない」

みんな口を揃えてこんなこと言いますよね。
誰かがそうアドバイスしているのでしょうか?

まあとにかく、自分の言葉として発言してる感じがなく、全く共感できないですよね。
しかも、そういう謝罪の原稿を読んでるひともいますしね。

悪意の心理学という本を、最近読みました。

 

この中でも、まさにこのことが書かれています:

引用)役所か何かの不祥事があったときなど、責任者がこうした発言をすることがある。謝っているつもりなのかもしれないし、辞書によってはこの語に謝罪の意味を認めているが、不誠実な感じを抱く人もいる。ここにも、関与権限の問題が関連している。これは「遺憾です」が、「残念です」「お気の毒です」同様、関与権限の小さい状況で、何かよくないことが生じたときの表現というニュアンスがあるからではないか。

そうか、この関与権限の大きさが重要ですね。

引用)たとえば日本の政治家が、「最近世界でテロが絶えないのは大変遺憾です」という場合であれば、外国の事件は当の政治家の関与権限の外の出来事で問題はない。
しかし所管する役所の不祥事の例のように、自分の関与権限の大きい事態で「遺憾」を用いると、関与を弱めて責任放棄している、少なくともその一部を逃れようとしているような感じを与えてしまう。

そうなんですよね。無責任な印象、他人事みたいな印象を受けるから違和感あるんですよね。自分に責任はない、責任を負いたくないという思いがアリアリと見えるんですよ。

形式だけそういう場を設けておけばとりあえずOK、ではなくて、
自分の言葉でしゃべらない人は、謝罪をしたことにも、自分の意見を表明したことにもならない、ということにはできませんかね?

私は小学生くらいのときからこんなこと感じてましたけど、何十年も変わらないということは変わらないんだろうな。。

それと、よくあるフレーズで、何かの不祥事に対して、

再発防止につとめます

って言葉ありますよね。あれって、

次起こらないように頑張ります!

ってだけじゃないですか。仕事だったら0点ですよ。心がけとか意気込みを聞きたいんじゃなくて、本来あるべきは、

・同様のことを、(ミスであっても意図的であっても)起こさないような仕組みづくりを検討して、
・それを実施して効果をみて、
・結果を報告する

くらいのことを時間軸上の明確なプランとして示すのが、普通の感覚だと思うのです。
まあ、そういった会見後に、きちんと改善策を講じているところもあるかと思いますが、言葉だけで終わってるところもあるかなと思います。

それとも、そういうのをあえて明確にせず、責任の所在なども含めフワーッとした曖昧な何かに包み隠すのが上手になるのが、大人になるってことなんですかね。

丸腰でも矢面に立つ大人でありたいものですね。

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