自分があるべき姿を維持出来なくなったときどうするか?

こちらのブログエントリーを読んで思うところがありました。

石原慎太郎の葛藤と、相模原障害者殺傷事件の背景を考える。

気になったのは、

障害者になった自分を受け入れられない。「役に立ってこそ男」という考えから抜けられない。「社会のお荷物」になる自分を受け入れられない。このような「高齢者の自己否定感」が、老後問題の最大の課題だと上野氏は指摘する。

と、

その背景にあるのは、生産性が高く、効率が良く、その上費用対効果がいいものでないと価値がないとする考え方だろう。すべてが数値化され、どれくらい経済効果が得られるかのみに換算される社会。

それから、

功利主義は危険な思想である。功利主義に基づくと、他人に多くの快楽や幸福をもたらす人の生は重んじられ、逆に、他人に苦労を要求せざるを得ない弱者の生は軽いものになってしまうからだ。その弱者には、障害者や老人が含まれる。すると、気づかぬうちに、私たちはUの主張のすぐ近くに来てしまう

ショックだったのは、功利主義を求める感覚は自分にもあるな、ということ。従って、石原氏同様、自分が高齢者側、障害者側になることを受け入れられないだろうなと推測できることだ。

若い頃は、自分が年をとったときのことは想像しにくい。そして、その頃の思考回路・価値観のままで年をとってしまう。年をとったときの気持ちのありよう、については、義務教育では教えてくれない。

自分が年をとったとき、出来ることが少なくなった自分、頭では考えるけど実行できなくなった自分を許せるだろうか?功利主義一辺倒ではなく、ゆるく生きることもアリなんだと肯定できる価値観に少しずつでも移行できるだろうか?

長生きが必ずしも幸せではない

という感覚を自分が持っているのも、根底ではそのような、許せない自分になることを恐れているからなのだろうと思う。

 

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