ネットワーク型組織

ネットワーク組織―社会ネットワーク論からの新たな組織像Creative Commons License photo credit: Alex Osterwalder

最近ノマドやらフリーランスの議論が盛んなようだが、まわりが肯定しようが否定しようが、そんなの関係なく当事者は粛々とやっているものである。

企業を否定するものではない。実際、個人への仕事は企業から発注される(少なくとも現在は)。

企業(組織)はなくならないと思うが、ただし、企業でしかできないことはだんだん減ってくると思われる。

 

「組織でやる理由には何があるんでしょうか? 個人じゃダメなんでしょうか?」

 

と蓮舫ふうに書いてみたが、そもそもなんで組織なのか?それは、外部との様々なやり取りを行ううえでの取引コストがかさんで割りに合わないから内側で持ってしまおう、という発想に過ぎないのではないか。こいつ信用できるのかな?というチェックから始まり、このひとの時間100%利用できるかどうか、などいろいろ勘案した結果、総合的には内側でもったほうが得かもしれない、という程度ではないか。

そういった内部リソースは遊ばせておいても無駄なだけなので、必要な労働力リソースにたいして、供給がちょっと足りないくらいのほうが、手持ちの人的リソースを100%活用できるという意味で良いのかもしれない。でも、企業で必要としている労働力が一方的に上がっている間だけがハッピーで、労働力需要が不安定に変動したり、一方的に下がってくると、働いている本人も企業もハッピーでなくなる。そもそも、必要とされるスキルと提供できるスキルがずれてくるので、人数が足りても意味ないのだ。

一方、プロジェクトベースで必要なリソースが集まって仕事を行うネットワーク型の組織はどうだろうか?プロマネ的な人がいるかもしれないが、ピラミッド型組織の末端社員よりははるかに自律した個人の力が求められる。言い換えれば緊張感を伴った経営者的マインドセットであり、覚悟だ。相手の要求を正確に汲み取る能力も、こちらの主張を正確に理解してもらうスキルも必要だ。

ネットワーク型のなかにいる個人は、プロジェクトひとつひとつが勝負だ。信頼の蓄積でしか生きる術はない。信頼の構築には時間がかかるが崩れるのは一瞬だ。

最近思うのは、プロジェクトにたいし、必要なスキルセットを持ったリソースを、適切に集めることができる仕組みってないものか?というもの。結局、誰を知っているか、誰に知られているか、になってしまうのかな。

ちょっと前、シニアから若者へのスキル移転のための、シニアのスキルデータベースを構築すればいいんじゃないか、というような話をしていたんだけれども、同じ発想になるか。でも、そのスキルの情報が過不足なく正しいということを誰が保証するのか?という問題があるなあと今思った。その問題の解消はまさに取引コストになってしまうぅ。

Linkedin などでは、知人から endorse してもらう、ということで信用を上げる仕組みを取り入れてた気がする。これが第一歩かな。

というわけで、個人的にはネットワーク型になっていくんじゃないか、なっていってほしいと願っている。

ネットワーク型にもいろいろ問題があるだろうが、そういう問題にだけフォーカスして攻撃するひとは、現状維持バンザイの、あっち側のひとだ、ということですね。

 

参考ブログ記事

会社の仕組みはそろそろ限界だ

 

Interview
Creative Commons License photo credit: alancleaver_2000

 

 

 

 

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