私は基本的に、世の中には様々な価値観があってそれらは弾圧されることなく認められるべき、と考えています。
昨日、イスラム国に拘束されていたヨルダン人パイロットが処刑されたという映像(確かFOXニュースが公開してたやつ)を観ました。で、思った事を書きます。まとまりありません。
世界共通のベーシックな原則を徹底できないか
映像は正直かなりエグかったし、これは人としてアカン、という感想でした。映像がそれなりに凝った編集がされており、そういうのを淡々と編集する映像担当者がいるとみられることも衝撃でした。一方で、彼らは彼らなりの価値観で行動しているのだ、ということもできます。それは認めるべきなのか?矛盾がある。
ということで考えてみると、やはり人間社会には人間としての原則、非常にベーシックな部分の共通ルールというのがあるべきだと思いました。で、その上に、各々の価値観や宗教があるはずだと。人間としての共通原則を宗教と切り離すのが難しいところがありますが、いまは、その共通原則みたいなのをそれぞれの宗教が勝手に定義して、さらに拡大解釈しておかしなことになっています。共通原則とは、言い換えれば世界共通のベーシックな価値観、宗教といったものになりますので、まあやっぱり難しいのですが、これ外したら自身の価値観や宗教を主張することはできず徹底的に排除される、というような基本ルールがほしい。
日本ならではの対処法がありそうなもんだけど
米軍の空爆などで理不尽に家族を殺された人が復讐の鬼になって自爆テロを仕掛ける、というストーリーは、空爆やる前から予測できる。もしそんなこと予測できなかったとしたら想像力がなさすぎる。民族問わず人間はそういうふうに仇を取ろうとするものだと思う。残念ながら多分こういう感情は無くならない。希望は、何も知らず生まれてくる子供達とその子供達への教育しかないと思う。紛争地帯の子供が、日本みたいなある意味アホな空気漂うなかで一時期でもいいから教育を受けて大人になってくれれば、もしかしたら典型的なゆとり世代になるかもしれないがそれでも、いやそれ絶対おかしいでしょ、と考えることのできる基本的原則は身につくように思う。
ま、大人でも、たとえば渋谷や新宿の街をウロウロしてみたり、ゲームセンターで遊んでみたり、ロボットレストランでショー観たりすれば、自分達の価値観がどういうものだったのか、少しは客観視できるのではないかと思ったり。。。
うまくいえないが、米国主導のイスラム国殱滅のための有志連合に(間接的にでも)名を連ねてしまうのは、なんかうまくない気がする。今現在への対応は他国にやってもらって、長期的展望で次の世代に的を絞った日本ならではの変化球が出せないものかと思う。