医者もサービス業

今回はちょっといつもと違う話題を取り上げる。

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Creative Commons License photo credit: Hamed Saber

 

医者、特に大学病院の医者のあり方について。

最近、がんで入院している患者の状況を聞く機会やお見舞いすることが多い。その結果、病院へのチェックインが増えて foursquare で病院の mayor になったりしている。ま、それはともかく、最近思うことは、

  • 医者もサービス業だ
  • お医者さん稼業のまえに、数年、一般企業で社会人を経験する、というのを義務にするくらいがいいのではないか?

というものだ。

 

なぜそう思ったか?

まず、患者やその家族に対する説明が圧倒的に足りない。時間がない、というのは絶対に理由にならない。患者に説明して、現在の状況なり今後の方針なりを説明し、かつ充分に納得してもらうことは、医者の仕事の大部分を占めるものだ。ここで重要なのは、事務的に「説明しました」ではなく、ちゃんと理解してもらって納得してもらうことだ。納得してもらっていないのであれば、何も説明していないのと同じだ。

 

説明不足だと何が起こるか?

医者のほうが良かれと思って一方的に進めている治療にたいしては、患者が不安をもつようになる。予定どおり治療が進み回復しているなら結構なことだが、思うように回復しない場合、その不安がさらに増大する。結果、医者のあらゆる行動にたいし不信感が生まれてくる。そして、患者 – 医者のあいだ、患者 – 看護師さんのあいだでのコミュニケーションがギクシャクしてくる。これは、患者にとっても、患者家族にとっても、看護師さんたちにとっても、医者にとってもハッピーなことではない。

そのような、説明不足になる背景は、もちろん、他の雑多なことで忙しい(と思っている=忙しい自分に酔っている=優先順位を間違えている)、ということもあるが、

患者に説明しても分からないから

という上から目線があると思われる。

最終的な目標は、懸案の病気や怪我を直す、ということなのだが、極論すれば、当初希望した結果(=怪我治る、とかガンが完治するとか)に至らなかったとしても、当の患者やその家族が充分に理解・納得できたならば、それはある意味成功なんだと思う。

結局、判断するのは、感情をもった人間なのである。

 

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技術・知見を提供するまえに、人間であるべき

医者には、専門的な知見を求めていることは間違いない。しかし、相手で機械ではなく生身の人間であり、人間との対話のなかで「一緒にがんばって治療していきましょう」という協力体制をつくりあげるヒューマンスキルがまず求められる。それは、相手の立場にたって、どうやったら相手が喜んでくれるのか、を常に考え、自分の知見・専門技術との合わせワザで価値を提供していく必要がある。

個人病院ならそういう感覚はおのずと必要になってくるかもしれないが、一方で、大学病院のセンセイなどは、日頃から「センセイ、センセイ」と崇め奉られるせいで、感覚がおかしくなってしまうのかもしれない。

だから、一度、大学病院などという特殊な、閉じた世界ではなく、一般社会のなかで、

  • ひとと対話して、相手がほしいもの・ことを理解する
  • どうやったら、自分の持っているものを生かして、相手に喜んでもらえるのか考え苦悩する経験をする
  • 相手に納得・満足してもらえなかったら全く意味がないのだ、ということを痛感する

といった経験をしてほしいのだ。

患者のほうも、ひと昔まえは、もう先生に全面的にお任せします、という姿勢で、なんなら謝礼を包む、みたいなことが横行していたから(今でもある?)、患者も悪いっちゃ悪い。監視するってことではないが、自分がどんな状態にあるのか、どんな治療がなされているのか、ちゃんと理解していく必要はある。

 

というわけで、専門バカ育成システムは、見直す必要アリと思うが、これもある意味既得権益構造で、なかなか崩れないものだろうなとも思う。

 

あと、看護師さんも、(もちろん全員ではないが)かなりホスピタリティの感覚・精神がなくなってきているように思う。看護師なりたての頃の青臭い思いを、ぜひ思い出してほしいと切に願う。患者が、自分の大事なひとだったら、自分の親や子供だったら、その対応をするか?という視点を常に持ち続けるだけでもいいと思う。

 

歯がゆい現実

で、こういう感じで不信感が生まれてますよ、ということを、外堀を埋めながら主治医に警告することは出来るのだけれど、ここで懸念されるのは、

医者がキレて、復讐めいた治療をされると困る

という思いが、患者および患者家族にはある。それは、医者側と患者側で、もっている情報に明らかな格差があるから。つまり、治療のなかで患者を生かすも殺すも医者次第というところがあるだろう。治療のなかで、ワザと患者を殺す方向に仕向けることだってできなくはない。その際の情報なんていくらでも改ざんできる。

その結果、不信感は抱きながらも、医者との間は穏便に済ませたい、という思考になってしまう。結果、医者側の体質は改善されない。

非常に歯がゆい。

希望は、患者に対するあらゆる治療の可視化(映像、カルテ、その他情報の完全開示、アーカイブ化、隠蔽改ざんできない何らかの仕組み)というのが欲しいなあと思う。これは、政治に対しても、企業経営に対しても同じだね。

これってかなりモンスターな要求でしょうかね? いたって普通の思考回路だと思ってるんですが?

 

 

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