I want to be remembered as a person who ——– .

年をとってくると、人からよく思われたい、ということの優先順位が下がってきて、どう思われるかがあまり気にならなくなってきた。気にしすぎるのもどうかと思うが、あまりに気にしなさ過ぎると、場をわきまえないクレーマーみたいになってしまうので気をつけないと。。

さて、表題の、どのように記憶されたいか、ということをちょっと考えてみた。

・基本まじめだけど、ちょっと変なことをやる

・とりあえず、こいつに頼んでおけば最低限のことはやっておいてくれる、と思われている

・約束/時間は守る

・主張に一貫性がある

こんなところ。

思いだしたことがある。工学系大学院修了後、就職して仕事を初めて6年くらいたったあと、また別の(経営系の)大学院にいこうと思った。その出願に必要な推薦状を書いてもらおうと、元いた大学の指導教官に電話して事情を話して依頼した。そのとき言われたのが、

「おまえウチの大学院でて働いてるのに、また別のそういう大学院いくのか?????まあ、おまえらしいっちゃおまえらしいなぁ Hahaha … わかったわかった推薦状書いて送っとくから」

みたいな内容だった。おまえらしいというはどういうことだったのか? 当時の指導教官は、こいつはこういう行動をとるのはまあ有り得ないことではない、と思ったようだ。ちょっと変なことやりそう、という印象を残していたのであれば、そう思ってもらっていたのであれば、少し嬉しい。

自分らしいとは、結局、見栄をはらず、怖がりすぎず、自分にとって心地良い方向に動き続けるだけのことだ。

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