私は、意味もなく非効率なことが何の疑問も持たれず継続されるのが嫌いです。
ところで、第18回統一地方選挙の投票に行ってまいりました。その現場では色々と思うことがあったので書いておきます。
3つの投票
投票にあたっては、まず自宅に用紙が送られてきます。それを持って投票所に行きます。私の場合は近所の小学校の体育館が投票所でした。大体こんな手順になります。
(1)投票所では、まず持参した用紙を見せて有権者名簿で確認して、誰が投票にきたかということをチェックするようです。ただし、免許証などで本人確認するわけではないので、まあ性別さえ合ってれば用紙に書かれた本人でなくとも投票できてしまいます。
(2)持参した用紙を見せて確認してもらうさい、番地によって並ぶ列が分かれます。これは全部の名簿を一箇所でみるのは限界があるからだと思われます。
(3)名簿で確認したあと、緑色の小さな紙を渡されます。でもこれは投票用紙ではありません。さらに10歩くらい先の机に座っているひとにそれを渡して、まず市議会議員の投票用紙をもらいます。鉛筆で投票する候補者を書き、箱に入れます。
次に、となりの机に座っているひとから、県議会議員の投票用紙をもらって同じように投票します。最後は、県知事選の投票用紙をもらって投票します。
旧態依然としたシステム
私が思ったことです。
(1)について
名簿をいちいち見ながら照合するというのは今時どうなんでしょうか?自宅に届いた用紙にはバーコードがあったのですがあれは何の意味があるんでしょうか?あくまで一例ですが、バーコードなどでピッとやれば有権者名簿にチェックが入るような仕組み、小学生でも作れます。そうすれば番地ごとに並ばせる必要もないし、受付はひとりでOKになります。
(2)について
また、番地で列に並ばせるのは、大体どのへんに住んでるひとなのかがわかってしまうことになります。それが嫌だというひともいるでしょう。投票所のなかは投票者じゃなくても見えるので、列に並んでいる様子は誰でも見ることができます。まあ、その投票所にくるということだけで住所はおおまかに絞られるわけですが。
(3)について
名簿チェックのあとでもらう緑色の紙をもったまま、最初の投票用紙をもらわずに進んで行ってしまうひとがいました。当たり前です。何人も係員がいるのでそこでは説明がないのです。この緑色の紙を印刷する業者のための無駄なステップとしか思えません。
誰に投票するかがどうでもよくなってしまった
投票のプロセスについて、全体的に旧態依然として、やり方を変えようという気は全くないようにみえます。私はこういう、無意味なのに仕事をしているつもりになっている仕組みが嫌いです。いっぺんに3つの投票用紙を渡すと、間違えて投票するひとが必ずでるので、ひとつづつに分けるというのは当たり前です。しかし、名簿との突き合わせの作業をするなら本人確認までしたほうがいいのではと思います。何人も担当者を置いて名簿チェックしていても、本人かどうかは確認しないのです。意味がよくわかりません。こういうことが県内の至るところで行われていることを想像してがっくりします。
選挙というイベントがあることでメシが食えるというひともいるでしょうし、効率化することでみんながハッピーになるわけではないということは理解できます。ですが私は技術の進化や、それによる効率化に反対する立場にはならないでいたいと思います。そんな流れに逆らったところで少しだけ時間稼ぎしているに過ぎず、結局は流れに飲み込まれるのです。
インターネットで投票するとか、まだまだ反対勢力がいそうですね。物事を大きく動かすパラダイムシフトは、世代交代しかないでしょう。生まれた時からインターネットがあるような世代がシニアになるくらいまでの時間は必要な気がしてきました。
介護関係など、本当に人手が足りなくて厳しい世界もあるのに、一方では無駄なことを粛々とこなしているひともいる。世の中のシステムに正と負があるとすれば、投票所で働けるひとは正、人手の足らない現場であくせく働くのは負、ということになるでしょうか。そして、システムの負の側で働くひとは負け組なんでしょうか。
私は、物事を変えていく流れのほうを積極的に支持していきます。