4、5日お腹がゆるかっただけで、このまま死んでしまうじゃないかとビビっていました(現在は治りました)。そんな中、川島なお美さんの訃報がありました。私にとっては、お笑いまんが道場のマドンナ、あるいは極道の妻たちに出てたひと、という程度で特段の思い入れはないですが、スレンダー美人でしたね。
今回は、自分が余命宣告されたときどういう行動をとるか、という話です。たぶん、いままで一度くらいそういうことを想像したことはあるでしょう?
それと、制限を課すからこそはっきり見えて来るやるべきことについて。
例えば余命半年と言われたらどうする?
余命半年と言われたら、どうしますか?もしかしたら余命宣告よりも短くなるかもしれないし、それより長かったとしても 10年以上というレベルにはなりにくいでしょう。たいてい、そういう事態になったら、仕事は辞めて、旅行しまくるとか、そんな感じになります。それまでやってたことを辞めるわけです。それが本当にやりたいことではないと明確にわかっているからですね。
で、川島さんの場合は、余命が見えても今まで通りの女優の仕事、舞台の仕事を続けたいと思っていたわけですよね。つまり今までやっていたことと、死ぬまでやっていたいこととが一致していた。これって凄いことじゃないですか? 最高に幸せなことだと思います。この点については本当に羨ましく思います。54歳じゃやっぱり短すぎると思いますが。。
死期が見えたからこその To Do もある
寿命がある程度見えた場合には、やるべきことが新たに見えてくるでしょう。たとえば、これまでお世話になったひとに心の底から感謝のお礼をしにいくとか、なんとなく疎遠になってしまっているひとにも直接会いにいくと思います。
リアルに死期が見えたからこそ出てくる To do もあると思いますが、そういう境遇を想像してみるだけでも見えて来る To do もあるはずです。そういう、「自分に制限を与えて見えて来る To do」を時々考えてみて、日常の To do に組み込んでいくというのは重要だと思っています。ただ、頭では分かっていてもなかなか実行に移しにくいことです。
死ぬまでの猶予が与えられているとは限らないから
余命宣告というのは、いずれにしろ人は死ぬということを考えれば、ある意味幸せなことなのかもしれません。自分が死ぬことを前提にいろんなことを整理しておけるわけです。
交通事故とか心臓発作とかで亡くなる人はそういう準備が全くできずに、変わらない日常のなかでいなくなってしまうわけですから、正直心残りはあるでしょう。どういう死に方をするのかは残念ながら選ぶことができません。だからこそ、死ぬことを前提とした To do を、日常に組み込んでいくことが重要と思います。
とりあえず何やる?
いま浮かんだのは、
・臓器移植とか自由に使って下さいという意思表示を明確にしておく(臓器移植カード)
・植物状態になったときどう処置してほしいかを意思表示を残しておく
・死んだとき誰に連絡するべきか連絡先を明確にしておく
・疎遠になってる人をリストアップし、連絡手段を検討する
・保険関連の状況をまとめたもの準備しておく
こんな感じです。この類の To do リストを共有すれば他の人にも役に立つかもしれませんので、更新しつつそのうちまたアップすることにします。