第八章 あべこべ日本人論
日本人は集団主義ではなく自己主義だというのが筆者の主張である。
いくつかのジャンルで例を上げて示されている。
また、下のような関係が示され、利己主義と集団主義は、権力に馴染むという点で共通点を持っているとしている。
連帯主義も2つに区分できる。権力に対抗するために個人が手を結ぶ合作主義がひとつ、権力の目標を達成するために、個人がグループに組み込まれていく集団主義がもうひとつである。今日「日本的集団主義」と呼ばれているものは、対権力的なものではなく、国家や企業の訓令や指揮に追従するものである。
分析の単位としては個人と集団があり、親権力的か対権力的から別れ、
親権力的: 利己主義(個人)、集団主義(集団)
対権力的: 人権主義(個人)、合作主義(集団)
ということになる。
第九章 「日本人勤勉論」を再考する
「勤勉」についての考察として、以下の3点が挙げられている。
- ある国民が本質的に勤勉であったり怠惰であったりするのではなく、それぞれの社会にどのような非労働に対する制裁装置がしつらえてあるかによって、人々の行動様式は様々に変化する
- 「勤勉」という概念が、あまりにも狭い範囲でしか使われていない
- 勤勉は怠惰と相関している。勤勉は怠惰を目標としているはずである。
現実には働けば働くほど、さらに多くの労働が要求されるという状況が続いている。
日本人が考える勤勉さはかなり限定されており、学校生活や職場生活以外の空間に及ぶことが少ない。
その結果、外国人から誤解されることがあり得る。
組織に強制された勤勉ではなく、自分が選びとった勤勉を通して、おそらく人は国境を超えて、個人として学び合う機会にめぐりあうことができるようになると思う。
たしかに、学生なら、出来る限りの時間を勉強に費やすことが勤勉であり、会社員なら、おそくまで会社に残って仕事をすることが勤勉の定義だったのかもしれない。
その暗黙の定義にしたがって、勤勉な行動を闇雲になぞることで、本人もそれ自体の意味を考えることなく、安心してしまっているのが日本人だと思われる。
徹夜自慢、残業自慢、病弱自慢などの人たちが出現するのもそういう背景があるだろう。