ほんとはこわい「やさしさ社会」

タイトルが面白そうだったので読んでみました。

以下、個人的に気になった箇所を引用します。

現代社会では、「やさしさ」や「やさしいこと」は、ほとんど無性件に「善いこと」とされています。しかし、じっさいに自分の生活をふりかえってみると、かならずしもそう言えないことがわかります。

やさしいきびしさはやや古いタイプのやさしさです。基本的には相手にきびしく接します。ただし、そのきびしさはやさしさにもとづきます。

一方、きびしいやさしさは、あたらしい、現代的なやさしさです。それは、いま傷つけないように全力を尽くすこと、を要求します。やさしいきびしさはが、いまは傷つけるかもしれないが将来を思えば仕方ないと考えるのとは対照的です。

謝るくらいなら、最初からするな、という発言にあらわれた考え方こそが、きびしいやさしさです。

急速に日本社会が豊かになるにつれて、モノや身体に傷がつくことに、ひとびとは敏感になりました。そしてこの敏感さは、こころにまでおよびます。
こういう風潮の中で、やさしさもさらに変化してゆきます。それは、治療としてのやさしさから、予防としてのやさしさへという変化でした。

治療的やさしさとは、不本意にも相手を傷つけてしまったとき、その傷を癒そうとすることが、やさしさでした。一方の予防的やさしさは、傷つけることを回避することがやさしさです。

自己実現には、大きくふたつの意味がふくまれることがわかりました。ひとつは人生を楽しみ尽くすということ、もうひとつは能力の開発です。

楽しさ至上主義は、ひとをあせらせる

幼児・児童虐待がとまらない親は、こころの弱い親でも冷酷な親でもありません。「子育ては楽しいもの」と信じてしまった、やさしくてまじめな親です。

そこで「人生は楽しいことばかりではない」という平凡な考え方が大切になってきます。

「楽しくないほうがふつう」と考えれば、せめて楽しさ至上主義のこわさは少しぐらいましになるのではないか、と思います。

「対人恐怖症の武士」である現代日本人にとって、見知らぬひとに「すみません」というのは、プライドが許しません。”なんでこんな他人に、すみません、なんて言わないといけないのだ?!”という感じです。一方、「すみません」と言うのが恥ずかしい、という気持ちも同時に持ち合わせます。葛藤しているのでしょう。

ネットいじめが無規範になるのは、やさしさ社会だからです。やさしさ社会では、攻撃は完全に「悪」で、徹底的に排除すべきものとなっているからなのです。

おそらく、小中学生でも実感として分かるような事例ばかりです。そして、今の日本社会の価値観をうまく説明できていると思います。
現代の日本人の価値観を冷静に分析して、いま私たち、あなた達がやっていることの背景はこういうことなんだよ、ということをちゃん説明できれば、学校や会社で起こる人間関係上の問題も少しは改善されるのではないか?と思います。
たまにはこういう社会学な感じの本もいいですね。おすすめです。

ほんとはこわい「やさしさ社会」 (ちくまプリマー新書)
森 真一 筑摩書房 2008-01
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by ヨメレバ

 

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