損得を考えず、出来る限りギバー(与える人)になりきる。
どうしても損得勘定で考えてしまうもの
たとえばこんなケースは、割とよくあることです。
ケース1:ある人が体調不良でよく休む。その結果、こちらに仕事の負荷がさらに回ってくる。いつもこんな感じで、自分だけがとても損をしている気がする。
ケース2:プライベートで人が集まってある企画をしているが、他のメンバーが、仕事忙しいという理由で、重たい役割がこちらにばかり回ってくる。こっちだって忙しいのに。。
ここで、「仕事が忙しい」「体調不良」といったフレーズは非常にパワーある言葉・理由であり、私はこれを、「免罪符」と考えています。いずれも発言した本人の主観による評価であり、こちらからは、そうじゃないでしょ、とはいえません。言い返せない。
この他、強い免罪符としては、「家族の危篤や死亡」といったものがありますが、これは割と客観性がありますね。
こうした場合、大別すると、
- 理不尽な状況を声高に訴えて状況改善を図る
- 何もいわず粛々と対処する
といったやり方があるでしょう。
私ならどうするかなあ?
多少でも得るものが見えれば良いんですけどね。結局のところ時と場合によるんですが、理想をいえば、
できるかぎりギバーであり続ける
ということでしょうか。
では、自分がギバーであり続けるには、
自分自身が精神的にも肉体的にも安定した状態にある
ということが重要になると思います。逆にいえば、ギバーになりきれない時というのは、自分が何かで困っている・焦っている・悩んでるということになります。
損得を考えないのは、見返りを求めないということで、意外と大変なことですね。
一方で、人間というものは、
してあげたことは覚えていても、誰かにしてもらったことはすぐ忘れている
ものなので、ギバーに徹することで、全体でプラスマイナスちょうどいいくらいなのかもしれません。
まとめ
もうひとつ、私個人の行動指針として、
夢見が悪くなるような行動をしない
というものがあります。もちろん、逆に極端に搾取され続けるような状態は夢見が悪いわけですが、自分側に余裕がある限りは基本的にギバーでいたいものです。というわけで、
損得を考えず、出来る限りギバーになりきる。
短期的にはたぶん損をするけど、長期的にみたら得をするんだと信じてやってみましょう。
たぶんそういう時代になってきている。