第一章 日本社会の深層を縛るもの
横並び意識や一斉行動は、お上が笛を吹いたからといって、一朝一夕に発生するものではない。 子供の育ち方を観察しない限り、その社会の深層は分からない。 幼年期の遊び空間のなかで、日本人の多くは知らず知らずのうちに全体からの逸脱を恐れる週間を身につけさせられる。
こどたちを背の順番で並ばせる習慣は世界の他の国にはない。こういう整列法が私達のこころの奥にたたきこむ知覚の型の中に、私たちを無意識に突き動かす発想が宿っている。背の高さというものさしを頭に置いて、私たちは幼年期から「自分は集団の中でどの位置にいるのか」という問題を無意識のうちに解き続け、この課題に敏感に対応するよう条件付けられている。
周りのひとの評価(どう思われているか)を気にする要素は他国の文化にもあるだろうが、それが行動・決定に与える影響の大きさは多分日本人が一番だろうと思う。でも最近の若者(注:自分含む )では少し価値観が変わってきているかなとも思う。良い悪いは別として個人主義のひとは増えてきていると思う。どういう仕事をしているか、どういう仕事の仕方をしているか、でそのあたりの個々の価値観が分かるね。
班 = 小集団 != Group
Squad (軍隊用語の分隊)
また、班については、Group より Squad のほうが適切だろうと書かれており、外部に対しては目標への同調競争をする一方、内部での統制を大切にするという点が理由として挙げられている。
また、「熱心な先生だ」と評判になる体罰教師についても述べられている。
体罰行使は規則違反者に対して規則違反で対抗するという構図以外の何ものでもない。まして、「態度が悪い」とか「行儀がなっていない」とかを理由に体罰にはしる教員は、規則違反をしていない生徒に規則違反で立ち向かっている。
弱い人間に対して力を握っている人々は、法律や規則を破って平然としている場合が多い。
原発事故の政府対応もそんな感じかな。決められたことはちゃんと守るはずの国が、自身が設定した被曝限度の上限を勝手に変更して、本来移動させなければならない人々をそのまま住まわせ、被曝させ続けている、という現状。絶賛人体実験中ってわけだ。
まあね、でも政府がひどいってのは日本に限ったことではない。何かの別の本で読んだが、
システムの負の側を歩くな
ということを心がけるしかないかな。
班思想と退治しようとする人にとっての最大の敵は、自分自身の中にある「やっかみ」である。 敵は必ずしも上にいるのではなく、横にいることが多い。
つまり、問題は上司よりも同僚の「忙しいときにやすみやがって」のような圧力であるということ。
また、日本ではゴシップニュースの人気が高いことをあげ、これが、逸脱者をさらしものにして楽しむという志向を示していることをさし、改めてひがみの要素を指摘している。
集団の規範から離れた人たちに対するこのような攻撃は、そのような選択をした人に対するひがみをふくんでいることを忘れてはいけない
日本人なら誰でも思い当たるフシがある、日本人のイヤな側面について書かれている章である。班とかきくとやはり体育会系の空気を感じる。先輩を敬うとかいうのは素晴らしいことだと思うが、「先輩を尊敬するからいうことを聞く」ではなく「先輩のいうことはとにかく絶対服従」ということになるとちょっとおかしくなる。また、そういう環境で虐げられた後輩は、自分が先輩になったときに同じ間違いをする(あるいはさらにエスカレートする)。
それと、この章にはなかったけど、「空気」というのもイヤだね。・・・できる空気じゃなかった、ていうの、あれがどうも日本的な悪いクセだと思う。だから、空気読まないで行動・発言できることは結構大事だと思う。ああ、そういえば「空気の研究」という本もあったなあ。
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