嫌われ者になる勇気

・馴れ合いの空気を読まず発言できる人になりたい
・プロジェクトは、そういう人を歓迎することを明確に表明すべき

仲良しクラブ的なミーティング

プロジェクトの打ち合わせなどで、馴れ合いの雰囲気になってしまい、しっかり議論してアクションを決めるべき問題の先送りなどが横行してしまうケースがあります。

日本人的な感覚なんですが、

ミーティングのなかで、自分の意見を否定されると、人格まで否定された気分になる

という人が多いようです。そのことを根に持たれるんですね。その結果、ミーティングが終わったあとも人間関係が悪化するというものです。それは相手がどう感じるかであって、コントロールできない部分があるので、

そんな問題を引き起こすくらいなら、黙っておとなしくしておこう

と考える人が多くなり、指摘するべきこともされないで終るわけですね。特に、組織上で上司と部下の関係にある場合、上司の意見にたいして否定しずらいという構造になります。
自分の評価をするのは基本的に上司であり、上司も人間であり、人事評価には好き嫌いが出るというのは否定し難いところですからね。ですので、

言うべきことは言う

という、日本の環境では悪者になる役を買って出れるのは、利害関係の比較的希薄な、

外部の人間

のほうが適役かもしれないと思っています。そして、こういった善意の悪者になれるのは、基本的にポジティブな思考を持ち、かつ、コミュニケーションの達人であるべきだと思います。本当の皮肉屋がこの役割をやったら、プロジェクトをかき乱すだけになってしまいますからね。

悪者になりきれなかった

これまで私は業務委託のかたちで、いろんな会社のプロジェクトに参加させて頂きましたので、どちらかといえば外部の人間の立ち位置から見ます。外部の人間としていろんなミーティングにも参加しましたが、正直、悪者になりきれてなかったなと思っています。まあ、プロジェクトが円滑に回っているのであれば、あえて悪者になる必要はないのですが、それでも、

これは言っておいたほうがいいかなあ?

と思いながらも控えたことはあります。思い起こすと、社員(=中の人)としての関わり方とは違うものの、こちらは業務委託としての契約面での利害関係があるわけで、そういった関係性がちらついたのだと思います。これが外部の人間にとっての問題です。結局、悪者になるのを躊躇するのは、

自分のポジションが危うくなる可能性があるから

なのです。

まとめ

悪者を買って出るのはいいけど、それで損害を被りたくないというのが本音です。だから、中の人か外部の人かを問わず、

プロジェクトの目的を達成するために、積極的に悪者になってくれることを歓迎する

ということを事前に合意しといてもらうと、とてもやりやすいですね。それと、

プロジェクトミーティングでの批判や議論は、決して人格攻撃になってはいけないし、そう捉えるべきではない。従来の人間関係に何ら影響を与えるものではない。

ということも、プロジェクトとして明確に表明しておくべきでしょうね。

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