だいぶ前に少し話題になったネタがあったのですが、それがずっと気になっていました。
実家が太い、という表現が自分には新しかったのですが、要は、実家が裕福だということですね。
努力すること、努力したことは素晴らしいことだけど、そもそも、努力できる環境さえない人もいるのだ、ということに、多くの人(特に実家が太い人)は気づきにくいものだということです。
極論ですが、その日使う水を汲むために片道5時間歩かなければいけない子供が、大学進学のための努力ができるのか?ということです。
自分のことを考えてみると?
うちは決して裕福なうちではなかったですが、日々暮らすための何かで忙殺される、という環境でもなかったので
実家は太くないが、細すぎでもない
といったところだったでしょうか。太くないので、大学は国立大学しか受けず、私大の選択肢はゼロでした。
でも、そのための努力は出来る環境だったのです。だからそれが当たり前だと思っていたし、上記の議論はハッとさせられたところがあります。
大学進学という話も、
・そもそも本人が行く意思がない(それが悪いということではもちろんないです)
・行きたいしその努力もできるが本人にその意思がない
・行きたいしその努力もしたいが環境がそうさせてくれない
といった感じで、いろんな理由があるのだ、ということですね。
受験勉強にフォーカスできてた時点で、もう恵まれてるんですよ、ってこと。
で、その環境を作るためにはいろんな人が奔走しているのだということ。
このことを、後付けでもいいから認識しておくことで、いろんな振る舞いが変わってくる気がします。
似た話なんですが、「ハーバードからの贈り物」という本に、「サラの物語」というお話があります:
これも、大変よいお話です。ぜひ読んでみてください。この話だけでも、この本の価値はあります。