「パブリック」という本を読んでいます。全部で330ページあるなかで、まだ50ページ程度よんだところだけど、印象に残ったところを。
(引用)
あらゆる知識は、他人よりも優位に立つために自分だけでもっておくのがいちばんだと考えるような、反社会的な態度がドイツ人には身についています。その上、それをただで与えるような間抜けは信用されません。僕も条件反射を刷り込まれました。問題がある? なら誰にも言うな。それを悪用されるぞ。うまくいった?口を閉じておけ。嫉妬されちまう。失敗した?恥ずかしい。話す?バカな。やめておけ。だから私たちは自分の間違いに責任をもちえないばかりか、他人が犯した同じ間違いを繰り返すのです。
ドイツを近代国家として成功させた閉じられた工業経済は、オープンなデジタル経済に取って替られようとしている。こうした変化のなかでは、失敗への恐怖がドイツを戦略的に不利な立場におくかもしれないと懸念するドイツ人の友人もいる。
ドイツ人の気質について語られるところですが、同じようなことは日本人にも言えると思います。むしろ、日本人のほうがその傾向が強いと思えます。両国ともに、技術にたいして高い評価を与える国であり、技術の高さにより20世紀後半に大きく発展したというところが同じで、いまでもその信頼性とブランドは維持できていると思います(そう期待します)。
が、
それも、昔風の価値観を引きずると、だんだん時代にそぐわなくなってくるのでしょうかね。
なんでもかんでもオープンにすればいいってものではないかもしれませんが、ちょっと心配です。
それでも、ドイツは、やっぱこれじゃマズイな、と思えば、サラっと方向転換できちゃいそうな気がします。原発 -> 脱原発&クリーンエネルギーのようにね。
心配なのはやはり日本です。日本も立ち直る力はあると思いますが、その前に一度どん底まで落ちていかないとリセットできないという国民性の持ち主のようです。そして、まだ、どん底ではありません。時間がたつのを待つしかないのでしょうか。ふんぞり返って権力に居座るお爺ちゃんたちがいなくなるのを待つしかないのでしょうか。